帰郷 6 平成の森
両親は私がボランティアに行く事に難色を示していた。
後でその理由のひとつは石巻に住む隣の息子さん夫妻の
お嫁さんが、たまたまその日は海の近くへ行っていて
津波に遭ったからだと弟からきかされた。
”たまたま”。 あの日、一体それはいくつあったのだろう。
私の叔母のひとりも、勤務先の老人ホームでお年寄りを逃がしている間に津波に流されたが、
”たまたま”が重なって助かった。 叔母は泳げない。
毎日のように余震が続く中親に心配をかけたくはなかったが、
ここまで来て『行かない』という選択は
とても考えられなかった。
難色を示しながらも協力してくれるのは、いつも父だ。
町役場で話を通していてくれた。
とりあえず志津川のボランティアセンターへ行く。
言葉は悪いが、何でもいいと思っていた。できる事ならばなんでも。
そこで登録していると横に立った女性ふたりが『女の人がいいです』
と言っている。 受付の人は目の前にいた私を見る。
『いいですか?じゃあ、今日はここへ行って下さい。』
私がその日行く事になったのは歌津町にある”平成の森”という
宿泊施設だった。 施設は避難所になっており、敷地内には仮設住宅が立ち並んでいた。
その平成の森には東京から臨床心理士の方達が1週間交代で来て
テントをたてて無料のカフェを設けていた。
誰かが一息つけて、よければ話もききますよという場所。
そのカフェは写真が撮れない事になっていたので、ありません。
ここは歌津町に行く途中。
仕事が無くなってしまった人達は自主的に何かをしていた。
おじさんは炎天下の中ここ一帯の草刈りをしているという。
午前中にカフェに寄ってくれたので
あどでまだ来たらいいべっちゃ、と言うと
一日一杯は頂いでっから。私は人の好意にそごまで甘えられない。
、と。
午後の、あれは何時頃だっただろう。
いきなりトラックが2台、勢いよく入って来た。
すぐに仲良くなった漁師の人が(彼は毎日自主的にカフェの手伝いをしていた)
『おめ、ちょっとこっち手伝え』と言う。
カフェの方に承諾を得て、そっちの手伝いへ行った。
様々な物資を手際よく並べ始めているが、どこかの団体といった感じでもない。
なんだかゲリラ的な。
聞いてみると、”さかなのみうら”さんだという。
なんかどっかで聞いたような、、。
そこであー、と私はふんばろう東日本支援プロジェクトを思い出した。
知っている人も多いと思うが、かなり画期的で素晴らしいプロジェクトだと思う。
ひとつはアマゾンでお買い物をする様な感覚で
直接被災者の方に物資を送れるシステムを立ち上げている。
自分が何をどこへ送ったかわかるし、送られた方も誰からもらったのか
わかるのでお礼を言う事もできる。 そこで繋がりができる。
シンプルで凄いなぁ、と思った。 その他にも様々なプロジェクトを進めていて
私がいた時は扇風機プロジェクトと称して何百台という
扇風機が届けられた。
全部、個人と個人の繋がりによって。
ハワイでふんばろうの事を知って、サイトを何度か見た事があった。
そこでちらっと見かけた名前だ。 さかなのみうら。
毎日違う避難所や仮設に物資を届けている彼らが今日ここへ来た事にも
私はなんとなく縁を感じて、思い切って『明日手伝いに行ってもいいですか?』
と聞いてみた。
別に何時とも言わず場所さえ『あのおっさんにきけばわかるよ〜』
と言って去ってしまった。 うーん、おもしろい。
その日の帰り、私は立ち寄りたい所があった。
姉の旦那さんと初めて南三陸町に来た日
すごい印象で目に留まったもの。
きっと誰の目にも留まる。
見ての通り殆どの建物は骨組みすら残っていない。
そんな数少ない骨組みのひとつに看板が大きく掲げてあった。
よみがえれ故郷 ふんばれ 南三陸町
そう、書いてあった。
そこの近くへ行ってその写真を撮りたかった。
うわっ、、、と言っていた。
近寄ってみるとそこには”さかなのみうら”
と書かれていた。
さかなのみうらさんのお店跡だったのだ。
頭だけでどうしようか考えていた時は
沿岸部の場所を転々とする事も考えていたけど、
こう流れて来て、私はもう時間の許す限り
さかなのみうらさんのお手伝いをしようと決めた。
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by blindspotphoto
| 2011-09-19 21:48